床には織機のための鉄骨が埋まっていました
当時当たり前だった裸電球も今は新しい感じがします

織屋建の京町家の長屋は、もともとは織機が並ぶ織物の工場(こうば)として機能していました。
家屋としての機能は最小限で、お手洗いも基本的に外に配置されている事が多かったと聞いています。祖母の家も元々は裏(庭)に厠があったけれど、室内のなるべくアクセスしやすい場所に移動したそうです。

お風呂も付いていないことが多く、近所に必ず一軒はあった銭湯に行っていました。面倒なときは、たらいにお湯をためて行水していた記憶が残っています。

灯りも梁から電気のコードが垂れ下がって、裸電球で灯していました。

質実剛健

本当に「働くための家」だったんだと思います。

私のお店のねきに来ていただきたい、このお店の根際に・・・

生前のおばあちゃんいろいろな京言葉を話していました。最近の子ども達にはあまり通じないので、私も聞けば意味がわかるけれど、私自身は京言葉を使うことはなくなってしまいました。

おぶ飲むか?(お茶飲むか?)

おくどさんの上におやつあるえ(かまどの上におやつがあるよ)

これはいらったらあかん(これは触ったらだめ)

あんまりきばったらあかん(あまり頑張ってはだめ)

たくさんの京言葉を聞きながら育った私が一番印象に残っているのが「うちのねきを離れたらあかんえ」
市場へ買い物に着いて行くのが大好きだった私が一番聞いた言葉です。

私のそばから離れたら駄目よという意味。手をつないでおばあちゃんと歩いた記憶があります。

お店を始めるときに最初から最後まで悩んだのがお店の名前。

お店のそばに来ていただきたい
私の作るパンのそばに来ていただきたい
私の作るお菓子のそばに来ていただきたい

そんな思いを込めて「このお店の根際 KONONEKI」といたしました。

根際(ねき)

京言葉で、側・傍らという意味だそうです。
小さい頃からよく聞いていた言葉なので、意味なんて考えたこともありませんでした。ねき=傍と理解していたんだと思います。火のねきにいったらあかんえ、車のねきで遊んだらあかんえ、おばあちゃんのねきを離れたらあかんえ、子供の頃は注意された感覚でしたが、大人になってから「ねき」と聞くとどこか優しい感じに聞こえます。